移住者の声
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いまの自分が一番新しい
山下さん
- 多拠点生活
- ワークウィズライフ
- 働き方と生き方アップデート中
働いているのか 旅をしているのか
山下慶子さん。肩書き、元社長。生まれ育ったこの島では、いわゆる「ポジショントーク」と無縁の生活をおくれるのが楽だと快活にわらった。
「15歳まで上天草にいましたが、あの頃は、もっと広くて、もっと豊かな世界が見たくて。1日も早く島から出たいと思っていました」。
2020年の終わり。山下さんは、約30年ぶりにふるさとに帰郷した。熊本市内の高校を卒業後、鹿児島の大学へ進学。卒業後は中国・北京へ語学留学し、帰国後は上京し旅行代理店勤務などを経て、2007年に派遣社員としてポーラ・オルビスHD(ホールディングス)に入社した。そこで敏感肌専門の化粧品ブランド「DECENCIA(ディセンシア)」のスタートアップに携わり、2018年には社長に就任。Uターン直前まで、社長業に勤しむ日々を送った。
こうしてプロフィールを書き連ねているだけで、何ともカラフルな人生経験を積んできた人だと思う。都会での刺激的な生活。日々ドラマティックな社長業。そんな生活にいったん句読点を打つように、次の拠点に選んだのが地元だった。
「上天草には2年に1度くらいしか帰っていなかったんです。熊本に戻っても、わざわざ阿蘇に旅したり(笑)。けれど徐々に天草方面に気持ちがシフトしていくなかで、2〜3年前くらいに下田温泉に沈む夕日を見たとき、マラッカ海峡(東南アジア)で見た夕日と同じくらい綺麗じゃん!とすごく感激してしまって。この年になって、地元の空に、海に、景色に、いちいち感動している自分がいました。自然と多拠点生活をゴールに見据えるようになり、一度帰ろうって思うようになったんですよね」。
この島の価値を思い描くこと
山下さんのUターンはコロナ禍と重なった。リモートワークが急激に浸透したことで、これまで以上に住む場所、働く場所を、都心から郊外へ移す人が増えた。
必ずしも、同じ場所でずっと働かなくてもいい。仕事はひとつじゃなくてもいい。そんな風に、各地で新しい働き方や生き方が見直されるなかで、彼女もまた、働き方と生き方を“実験的に”アップデート中だ。
「今はどこにいても仕事ができる時代になりましたよね。私も地元に戻ったことで、“ワーク”と“ライフ”を明確に分けることなく、そのグラデーションのなかで、“ワークウィズライフ”を大切にしていきたいと思っています。そのためにも、これまでのキャリアとスキルが少しでも地元の役に立ったり、貢献することにつながれば。毎日好きな景色を目に映しながら、自分らしくいられる場所で、この島の価値を見つけていきたいんです」。
正確には、本格的に腰を据えるというより、これから増やしていく“拠点のひとつ”という考え方。それでも上天草市が、今後の山下さんの人生のベース(土台)になっていくのは間違いないと話してくれた。
現在は、フェムテック(女性とテクノロジーを掛け合わせた造語)のスタートアップ企業支援やマーケティング、イベント企画など東京の仕事を請け負いながら、地元企業のECマーケティングや人材育成など、これまでのスキルと人脈を上天草で生かす仕事をつくっている。
積みあげてきた多様なキャリアを種に、それらをこの島で生かせる土壌を耕し、育てている最中だ。
「都会ではあらゆるものに“付加価値”をつけるのに熱心だったけれど、こっちは価値だらけ。宝ものばかりなんです。だからあせらずゆっくりと、その価値を世界中の人に届けてつないでいく役割を果たしたいと思っています」。
山下さん
東京都から2020年冬に上天草市に移住。
- 移住時の年代:40代
- 家族構成:1人
- 移住スタイル:単身
yoshiko_yamashita|note
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※ インタビューの内容は2021年11月の取材時のものです
※ 協力:上天草市セカンドライフ支援ネットワーク